私の実家は年末に引っ越す。
実家は、物が溢れる家💦
私が、今の実家に泊まったのは、居住の約17年間で一回のみ(笑)
人が入れない、人を招くことのできない家だった。
それはさておき。。
私のお母さんは2人いる。
産んでくれたお母さんと、育ててくれたお母さんだ。
2人は、親友。
特別ややこしい事はないが、人に話す上では、まあまあややこしい。
今回の引っ越しでは、自分の親も60代後半となり
今後いつどうなるかは分からない。
ということで、幾つかのアルバムを持ち帰ることになった。
私の産みのお母さんは、31歳で余命半年の
末期の胃癌のため他界した。
私は、当時6歳、妹は3歳。
お母さんは、「けんちゃんと、かなちゃんをお願いします」という言葉を残し、亡くなった。
私は、お母さんの記憶は少ししかない。
妹は、もっと少ないか。。
残ってる記憶は、
幼稚園に送ってもらったときに、「行きたくない!」と駄々をこねた記憶。
他は、お父さんから電話がかかってきて、
たぶんその夜に梅田で食事をしようとお母さんが電話をしている記憶。
お父さんは、今のお母さん(親友)と再婚したため、親友といえ、あまり亡きお母さんの話は家庭では出なかった。
あの、ややこしくありませんか?(笑)
書いてる自分は、表現するのがややこしい😅
話は飛びましたが、昨日はお父さんと、亡き
お母さんのことを色々と話す機会がありました。
結婚する前の写真や、私が生まれた当時や幼稚園入学の写真を眺めながら、しみじみ語り合う2人。
今まで良好な家庭関係でもなかったため、こうやって話す機会も少なかった。
「このアルバムは、お前が持って帰れ。お父さんが持ってたら、涙が出るわ。」と。
お父さんは、お母さんとの思い出のアルバムに、持っていても仕方ないと、私に託した。
でも。お父さん。
本当は、持っておきたいんだと思う。
お母さんと付き合ってる頃の写真、宮崎への新婚旅行の写真、私や妹の誕生日、七五三などの記念日に撮った写真など、
思い出される記憶がどうしても、辛かったようだ。
私は、お母さんを追い求めるのか昭和の歌が好きで、
「その歌、好きやねん」とお父さん。
ビールと酎ハイと柿ピーとポテチで、荷物を運んだ新居で、酒を呑んだ。
そして、翌日、深夜。
私は自分の家で、またしみじみと、お母さんの写真を眺めている。
写っているのは、20代前半の写真がほとんどやから、初々しい2人。
めっちゃ若いやん(笑)
お父さん、今はあんな白髪ばっかりやのに、
昔はイケメンやな。
写真を見ながら、
お父さん、お母さんにベタ惚れなんやなぁ。
こんなにべったり引っ付いて。腕組んで写真撮って📷
「お母さんには、癌やと言うてない」
まだ、当時約35年前は、告知もあまりなかったと思う。
お母さんは、お父さんやお兄さんに、
「私、なんの病気なん?」
って聞いてたみたい。
そやけど、2人は答えられへんかったみたい。
お母さんの前では笑顔やけど、
たまらず部屋を出て、何度も泣いたって言うてた。
私は、お母さんのお見舞いに行っているシーンを何も覚えていないので、
お父さんに聞いたけど、あんまり覚えてないみたいで。。。
私はあんまり病室入られなかったんかも。
「けんちゃん、かなちゃんを、お願いね」
愛する人との、最期の別れの瞬間を考えると辛すぎますね。
だってだって、あんなに好き同士だった2人が引き裂かれるなんて。。
その瞬間、どんな気持ちかなんて言い表せない💦
本人たちしか、絶対に分からない心情。
私が、看護師を目指した1番の理由。
それは、亡くなったお母さんの病床の近くには、いつも看護師さんがいたはず。
その看護師さんは、お母さんをどんな風に見てたのかな。
幼な子2人の家族背景を知って、哀れんだのかな。
お母さんの、辛い気持ちを聴いてくれたりしたのかな。
優しく手を添えてあげたりしてくれていただろうか…。
お母さんは、病院のベッドで、どんなことを考えてたのかな。
私は、お母さんの最期の想いを、少しでも知るために
看護師になりました💉