看護大学などの受験シーズンは、分かりませんが
看護専門学校の受験シーズンは、だいたい大阪の場合は、11月頃からです。
11月くらいに推薦入試などが始まって
12月、1月くらいで一般入試で
2月3月くらいでは、2次3次募集となります。
私の職場でも、同年代の人が看護学校を受験されまして、見事合格されました💯
いつも、その人には、
「これから、大変ですよー。ハハハ(笑)」とからかってしまうのですが、
是非頑張ってほしいと思います😆
私はときどき、9年前に退学した学校のホームページを見ます。
退学してからも、当時の先生が心配してくれていまして、数回学校を訪れたと思います。
確か、准看護師の免許を取ったときも顔を出しまして、
そして正看護師の免許を取った時も
「やっと、7年遅れましたが正看護師になることができました」と、
報告をしに訪問させていただきました。
本当に本当に、今は副校長先生になられた当時の担任の先生も、
そして、再実習中に退学の意思を伝えた先生にも、喜んでいただきまして、
もう、感謝の気持ちでいっぱいでした。
今思い返すと、当時の自分は過緊張でした。何をするにも、緊張と不安で包まれ、一年生の冬の基礎実習①で仲間の態度や発言が気になり、病棟の詰所で大声で喧嘩をするなどしたのを覚えています。
看護実習において、患者様に援助を行う際には、原則、指導者さんの見守りのもとで、
移乗介助、オムツ交換、食事介助など、
入院生活において、それぞれの患者様が必要とする援助を行います。
それが、またとても緊張するものなんです。
目の前に指導者さんが居るのですから😅
2年生での基礎実習②では、患者様をベッドから車椅子に移乗させようとした時に、車椅子と自分の足の位置に戸惑い、
「車椅子に移動させるとき、自分の足はどう置くんだったかな」
と焦りまくり、
指導者さんの目の前で、患者様から手を離し、ベッド柵に頭を打たせてしまう事故を起こしてしまいました。
急性硬膜下血腫を過去に【どのくらい過去か覚えてませんが】起こしていた患者様にそのような事をしてしまいました。
そこで、実習はひとまず停止となり、
そこから、学校の先生による聞き取りが始まりました。
もう、自分は「大変なことをしてしまった」という感情が止まらず、抑えきれず、
病棟廊下で先生を前に、いい大人が泣いていました(・・;)
その実習は、再実習で何とかクリアさせていただきましたが、
各論と言われる、成人や老年、母性や小児などの各領域の実習では、早々につまづきました。
結局、その各論実習の1つ目で3度も再実習が不合格になってしまったため、
「もう、ダメや」と気力は無くなり
実習中に、担当の先生に退学の意思を伝えました。
その実習で、もう学校を辞めると決めたので、最後に患者さんに挨拶をさせていただきました。
伝えたのは、体調不良のため、しばらく休みますとの内容だったと思います。
挨拶をしながら、
「もう自分はこの制服は着ないんやな。こうやって、病院で患者様に看護学生として、話すこともないんやろな」
と感じたのを、今も覚えています。
実習病棟の当時の師長さんは、とても良い人で今もよく覚えています。
「これから、どうしていくの?」と私の今後を心配して下さり、階段の廊下で何十分も話して下さいました。
その方とは、准看護学校の卒業間近に、
大阪府看護協会に研修で行った時に、偶然役員として出席しておられ、
「数年前、〇〇の看護学校から実習に行かせていただきました。〇〇です」と言い
名前を言うと、
「あー、あの時の❗️」と覚えて下さっていました。
良い報告ができて、本当に嬉しかったです😄
今話したこの再会を含め、
もう一度看護師を目指してからは、
准看護師学校、そのあと進学した正看護師の
学校などの実習病院などで
合計5回ほど
ほんまに不思議な体験、縁を感じる体験をさせていただきました。
「こんなことってあるんや」
「これは、もう、絶対に看護師になれってことなんやな」
常に、その思いで 何とか卒業まで辿り着くことができました。
本当に今まで、学生時に関わっていただいた 実習メンバー、学校の先生、患者様、
全ての皆様に 感謝申し上げます。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました😊